×
検索
StudentinJapan.com
人生について、神について
 安心して質問できる場所
関係

心の渇きを潤す

「人生、酒を飲まないとやっていられない。」こう思うことはありませんか?確かに、飲み会は楽しいものです。辛い日常を忘れさせてくれます。しかし酒の席での言動が、取り返しのつかない大問題に発展することもあります。どうアルコールと付き合うべきでしょうか。

LINE Share Twitter Share Facebook Share Share by Email More PDF

ジュディ・クラーク

「酒は飲んでも、飲まれるな。」昔から語られる、先人たちからの忠告です。

お酒を飲むと、気持ちも大きくなります。日常のストレスを忘れて、自分の本音で話せます。酒の力で、普段はできないバカ騒ぎもできます。「仮面」を外して、本性を露わにすることができます。腹を割って、話せるお酒の席。日常では話せない本音も、大胆に話せるようになります。酒を酌み交わす関係は、相手との関係がより親密になるように感じます。

確かに、酒の席は無礼講。飲酒の上での行動は多少は、大目に見てもらえます。それでも度を越すと、人間関係にヒビが入ります。命を危険に晒すこともあるのです。飲酒を強要することも、日頃のうっ憤をお酒の席で晴らすことも、相手の立場に立つと、十分「アルコール・ハラスメント」になるのです。

相手が断るのに、飲酒を強要することは、命に関わる大問題です。大学のサークルの飲み会、会社の歓送迎会、忘年会での「イッキ飲み」の強要で、急性アルコール中毒になる人の数は、年ごとに増加しています。急性アルコール中毒で、東京消防庁に救急車の出動要請があった件数は、年間平均13,815件。大阪市消防局には6,576件もありました。その半数近くが、20代の大学生や若い社会人でした。※1

2019年10月、飲酒をする20代から50代の男女500人に行われた調査によると、全体の62.5%が「イッキ飲み」の現場を目撃したことがあると答えています。「イッキ飲み」を強要された経験がある人は39.0%。そのうち79.5%が「イッキ飲み」を断れなかったと答えています。その理由は「場の雰囲気を壊したくない」「ノリが悪いと思われたくない」というものでした。※2

日本人40%以上が、アルコールに弱い体質です。アルコールは肝臓で「アセドアルデヒド」という成分に分解されます。顔が赤くなり、頭痛、吐き気をもたらすのが、この「アセドアルデヒド」の毒性です。「アセドアルデヒト」を分解するのが「ALDH2」という酵素です。約40%の日本人が生まれつき、この「ALDH2」の活動力が弱いと言われています。そして、約4%の日本人にはこの「ALDH2」の活動がまったく見られず、アルコールは一滴も飲めない体質なのです。

飲めない体質の人に「イッキ飲み」を煽り、無茶な飲み方を強要することは、命に関わります。自分が「イッキ飲み」を強要されそうなときは、その後の関係がどうなっても、その場から逃げることが命を守る行動です。

酒に酔ってはいけません

聖書では、お酒に関して何と言っているのでしょうか。聖書には、お酒を飲むこと自体を「罪」と語る箇所は見当たりません。しかし酒に酔い、自分をコントロールできなくなることに、警告を与えています。

「また、ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。」※3 お酒に酔うと、放蕩につながります。放蕩とは、理性の制御が取り去られ、ただ思いのまま、やりたい放題に行動することです。お酒に酔うと、自分のことが制御不能になるのです。

また聖書ではこうも書かれています。「肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。」※4

自分のやりたい放題に行動すると、人はこのような行動をとります。泥酔することも、飲み会でバカ騒ぎする「遊興」も、私たちのやりたい放題の行動です。確かにお酒を飲むと、大変な日常を一時的に忘れることができます。しかし翌日には、その快楽も消えてなくなるのです。心の中には、何物でも埋められない空虚さが残るのです。

アルコールの魅力

束の間でも孤独から解放されたいがため、私たちは飲み会に行き、アルコールの力に頼ります。お酒は気分を良くするとともに、リラックスさせてくれます。お酒を飲むことで、楽しい気分になります。

お酒は必要なときに、手軽に手に入ります。酔っ払っても、酒の席での出来事として、受け入れてもらえます。つらいこと、不愉快なことがあっても、お酒が気分を和らげてくれます。辛い日常も忘れることができます。

でもそれは、ほんの一瞬のことです。翌朝目覚めると、変わらない現実に戻るのです。飲酒は結局、現実逃避に過ぎないことに気がつくのです。

作家であり、心理学者でもあるヘンリー・クラウド博士はその著書『境界線』の中でこう記しています。

「私たちはみな幼少期に、人から愛される経験が必要です。もし幼少期に十分な愛を受けられなければ、生涯、愛に飢え渇くようになります。この愛への渇望はとても大きなものです。もし愛を人間関係に見出せないと、私たちは別の領域でそれを見出そうとします。食べ物や仕事、セックス、お金への執着につながります。それはまたアルコール、仕事中毒となって現れるのです。」※5

ある男子学生が、こう話したことが印象的です。「友だちと居酒屋に行ったり、家飲みで騒いでも、日中、大学でその友だちと会うと、お互いに話す話題が見つからず、気まずい思いをすることがあります。」

彼には確かに、多くの友だちがいました。しかし彼の交友関係は表面的なものでした。人とつながりたいという必要は、飲み会では十分に満たされなかったのです。

別の学生はこう語っています。「確かに飲みに行くと、酒の力を借りて、大切なことを話すことができます。一緒に酒を飲むと、友情が深まったように感じます。しかし、酒の力を借りなくても、友だちと普段から、本音で語り合う関係になりたいです。」

本当の渇き

ヘンリー・クラウド博士は別の著書でこうも語っています。

「人は通常、何か特定なものに依存して生きています。アルコール、薬物、車の運転速度、仕事、ギャンブル、破壊的な人間関係、宗教、自己啓発、物欲、買い物の『とりこ』になっています。しかし、これらのものでは、決して心の渇きを満たすことはできません。なぜなら、問題の本質がまだ解決されていないからです。私たちが本当に必要とするものは、アルコールや麻薬、セックスではありません。これらがなくても、生きていけます。しかし人間関係はどうでしょう。人間関係なしには、人は生きていくことはできません。」※6

大学生の皆さんに「なぜお酒を飲むのか」と聞いてみると、多くは「飲酒は楽しいから」という答えが返ってきます。確かに、飲み会は楽しいものです。しかし、私たちがお酒を飲む本当の理由は何でしょうか。人が飲酒をする最大の理由はやはり、ストレスや将来に対する不安、プレッシャーから、一時的に現実逃避するためなのです。

もし豊かな人間関係があるならば、アルコールやセックス、飲食などで、安心を得る必要はありません。良好な人間関係があれば、他の何かで心のむなしさを埋める必要もないのです。人間関係が恵まれていれば、心の深層に横たわる本当の必要が満たされているのです。

お酒で泥酔するのは、意味ある「関係」への渇望の現れです。摂食障害や、セックスに依存することも、完璧主義に陥ることも、人との「関係」の欠如を埋め合わせる行動なのです。

ヘンリー・クラウド博士はこう続けます。

「人とのきずなが、人生の基盤となるのです。他者とのつながりは、人の基本的なニーズです。神は人を関係を求める存在として創造しました。人は他の人々とのつながり、そして神との関係を必要としています。本質的に、人は他者との関わりが必要なのです。堅固で確固とした関係がないと、人は心理的、感情的な問題に陥ります。他者との関係がなくては、心の渇きを潤すことはできません。」※7

では、私たちはどのように、人との意味ある関係を築くことができるのでしょうか。人間関係を築く助けとなるの良書は、たくさん出版されています※8。ぜひ多くの本を読んで、実践してみてください。ただ健全な人間関係を築く最大の要因を一つだけあげるとすれば、それは神との関係なのです。

ヘンリー・クラウド博士は、人間関係とともに、神との質の高い関係を築く必要があると語っています。フランスの哲学者で、物理学者でもあるパスカルはこう語りました。

「人の心には、神がつくった空洞がある。その空洞を、創造者である神以外のものによっては、埋めることはできない。」

神との関係

全世界を創造した唯一の神が、私たちをも造りました。この創造主である神と、私たちは関係を築くことができるのです。私たちは、どのようにこの神との関係を構築することができるのでしょうか。

聖書が語る神は「これをすべきだ」とか「これはしてはいけない」と人を指図する存在ではありません。神は、私たちの小さな違反をも見逃さないようにと、監視を続ける警察官のような方でもないのです。

神は愛である方です。同時に、神は真理である方でもあります。神は自由で、心に安らぎを与える関係を、あなたと結びたいと願っているのです。

神は人を、神を知ることができるように造りました。しかし私たちは、神に反抗的です。自分が好きなように歩みたいと願うものです。できれば神には、私の人生に関わってほしくないのです。

お酒を浴びるように飲み、暴飲暴食をし、酒に酔い潰れるのは、あくまでも神に反抗し、無視した結果に過ぎません。人の罪の結果、人は神から永遠に引き離された存在になっているのです。

しかし神は、そんな私たちを見捨てずに、神との関係を築く道を設けました。神はそのひとり子、イエスをこの地上に送りました。イエスは、私たち人間と同じように生活しました。しかしイエスは、罪のない完璧な人生を送ったのです。

人は自分の罪のために、罰を受けるべき存在でした。しかしイエスは、人の罪を身代わりに背負い、十字架で犠牲を払ったのです。しかしイエスはその死の3日後に、死からよみがえりました。

あなたがこのイエスの十字架と復活を信じるとき、神との新しい関係が始まります。神との関係が回復すると、人生は変わります。

「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。」※9

神との関係が回復し、神との友情が深まると、私たちは神との語らいの中で十分に充足します。心の空洞が満たされます。

心の充足

神に祈るとき、自ずと心のありのままを、神に語るように変えられます。聖書を読むと、祈りへの神からの回答を発見できるのです。その聖書のことばを生活で実行してみてください。そのとき、神の特別な力を体験します。神の実在を体験すると、自然と神に感謝し、礼拝したくなります。神を礼拝することからくる喜びほど、私たちの人生に満足を与えるものはありません。それは、お酒に酔う以上の喜びです。

神との関係は、人間関係にも影響を与えます。「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」※10 私たちの性質も、内側から変えられます。

人間関係も豊かになります。仮面をかぶる必要がなくなります。理想の「自分」を装う必要もないのです。お酒の力を借りなくても、自然と本音で話せる関係を築けます。情報交換のレベルの会話から、心の思いを話せる人間関係を築けるようになります。

相手に必要以上に遠慮する必要もなくなります。場の「空気」を大切にしつつも、健全な自尊心をもって、使命に生きるようになります。もはやアルコールや自分の業績、人からの評価で自分を満足させる必要はなくなります。

心の渇きを潤す

あなたの心の空洞は、神でしか満たすことはできません。アルコールで心を紛らわしても、その喜びは一瞬のものです。

イエスはこう語ります。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」※11

イエスを信じるとき、心の渇きが満たされます。それは一時的なものではありません。神との関係は、泉のように尽きることはなく、あなたの心を潤し続けます。そればかりか、あなたから流れ出る生ける水の川が、周りの人々をも潤すのです。

もしあなたがイエスを信じて、神との関係を回復させたいと願うならば、次の祈りを今、一緒に祈ってみてください。

「神さま、私はあなたに造られ、愛されていることを聞きました。私の罪をゆるすために、罪のないイエスさまが代わりに死に、よみがえられたことを感謝します。今、あなたを信じます。どうぞ、あなたとの新しい関係の中で、私の人生をともに歩んでください。」

今、こう祈ったのならば、神との関係が回復しました。神との意味ある、永遠に続く関係が始まったのです。少しずつ、心の渇きが潤されていくことを、実感していくことでしょう。続けて、以下のリンクもご覧ください。

 イエスを信じました。成長の助けになる情報はこちらから
 イエスを信じたいです。さらに詳しく教えてください
 質問や意見があります

脚注: (1) データ出典:東京消防庁、大阪市消防局HPから抜粋 (2) キリンホールディングス株式会社による「イッキ飲みに関する実態調査」から引用。2019年10月30日~11月1日、日本全国の月1回以上飲酒する20~50代の男女計500名にインターネット上で質問をして、答えてもらう方式で調査。(3) エペソ5:18 (4) ガラテヤ5:17-21 (5)Dr. Henry Cloud and Dr. John Townsend, “Boundaries”, Grand Rapids, MI: Zondervan, 1992, p.220. 邦訳はヘンリー・クラウド, ジョン・クラウゼント著, 中村佐知, 中村昇訳『境界線』地引網出版, 2004年 (6) Dr. Henry Cloud, “Changes that Heal”, Grand Rapids, MI: Zondervan, 1992, p.64. (7) Ibid., p.47. (8) 人間関係に関する良書としては、たとえば ヘンリー・クラウド著, 市中芳江訳『パートナーの力』パンローリング, 2018. ヘンリー・クラウド著, 中嶋秀隆訳『リーダーの人間力』日本能力協会マネージメントセンター, 2010. などがある。(9) ガラテヤ5:24 (10) ガラテヤ5:22,23 (11) ヨハネ7:37,38


他の人にシェアする
LINE Share Twitter Share Facebook Share Share by Email More