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神を知る

神を知るには

聖書が語るメインポイントとは何でしょうか。4つのポイントで説明します。

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「あなたは特別、あなたは尊い。」こう語っているのは、この世界を造ったお方、神です。そしてあなたも、この神を知り、神との新しい関係を始めることができると聖書は語っています。

世界は神によって造られました。
「はじめに神が天と地を創造された。」※1

私たち一人ひとりも、神によって造られました。
「あなた(神)こそ、私の内臓を造り、母の胎の内で私を組み立てられたからです。…あなたは私に奇しいことをなさって、恐ろしいほどです。」※2

あなたを造った神は、あなたのことを最も良く知っています。神は、あなたを愛しています。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」※3



1. 神の愛

神はあなたを愛しておられ、あなたの人生にすばらしい計画をもっています。

あなたは神によって造られました。神はあなたのことを心から愛し、ともに永遠に過ごすことを望んでいるのです。聖書は次のように語っています。

「神は、実に、そのひとり子(イエス)をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 ※4

イエスがこの地に来たのは、 私たち一人ひとりが、神を個人的に知るためです。イエスが私たちに人生の目的と意味を与えます。

「わたし(イエス)が来たのは、羊たち(あなた)がいのちを得るため、それも豊かに得るためです。」※5

神は、私たちに豊かないのち、充実した意義深い人生を用意しています。それなのに、なぜ私たちは、この神を知らないのでしょうか?なぜならば…



2.私たちの状態

人には罪があり、神との間に深い断絶ができています。そのため、神の愛と計画を知ることができなくなっているのです。

私たちは罪の状態にあります。聖書にはこう書かれています。
「すべての人は罪を犯して、神の栄誉を受けることができず…。」 ※6

神は、私たち一人ひとりと個人的な関係を持ちたいと願っています。しかし私たちは、神に背をむけ、自分のしたいように、行動するようになりました。その結果、自らの価値や人生の意味がわからなくなり、多くの問題を抱えるようになりました。人が神から離れている状態を、聖書では「罪(的外れ)」 と呼んでいます。

聖書はこう語ります。「罪の報酬は死です。」※7
ここで言う「死」とは、神から断絶されている状態のことです。

この図は、きよい神と私たちとの関係を描いたものです。両者の間には、越すことのできない断絶があります。矢印は、神に近づこうとする私たちの努力を表しています。善行、哲学、宗教活動…といった人間的な努力を重ねても、この断絶をうめることはできません。


3.神からの応答

人の「罪」のために、神が用意してくださった解決が、イエス・キリストです。私たちはイエスによって、神の愛と計画を知ることができるようになります。

「罪」の問題を解決するために、今から約2000年前に、イエスは人となってこの地上に来ました。人となったイエスは、この地上で神の愛と計画を伝えました。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」※8

イエスは十字架で死刑になりました。このイエスの死は、私たちの罪の身代わりでした。
「しかし、私たちがまだ罪人だったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。」※9

イエスは3日目に、死から復活しました。
「キリストは…私たちの罪のために死なれ…葬られ…三日目によみがえられ…五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。」※10

イエスは、神に至る唯一の道です。イエスはこう語っています。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」※11

人の努力ではどうしようもできなかった神と人との断絶に、神が橋渡しをしてくれました。イエスの身代わりの死と復活によって、私たちの罪のつぐないがなされ、死(神との断絶)の問題が解決されました。神が、身をもってご自身の愛を示されたのです。


4.私たちの応答

私たちはイエス・キリストを、罪からの救い主として信じる必要があります。そのとき、神の愛と計画を知り、体験することができるようになります。

イエスを信じるとき、神の子どもとなる「新しい関係」が始まります。
「しかし、この方(イエス)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」※12

私たちはイエスを個人的に信頼する必要があります。
「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」※13

ここでいう「信仰」とは、イエスのことばをそのまま信じるということです。聖書のことばが、あなたの人生を導くように願ってください。イエスを信じるとき、あなたの人生はまったく新しいものに造り変えられます。

イエスはこう語っています。「見よ。わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところには入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」※14

あなたはイエスのこの呼び掛けに、どう答えますか?

次の二つの人生について、考えてください。


自我が導く人生

あなたの自我が人生の操縦席に座っています。

イエスは、あなたの人生の外側で扉をたたいています。

自我が人生をコントロールしようとしていますが、思い通りにはいきません。



イエスが導く人生

イエスに人生の扉を開き、イエスが人生の操縦席に座っています。

自我がイエスのことばを聴き、決断するようになります。

毎日の生活が神と調和しており、心に深い安心と喜びがあります。

どちらの人生が、あなたの今の状態を最もよく表わしていますか?

もし選ぶなら、あなたの人生としてどちらがよいと思いますか?



個人的にイエスを受け入れる

イエスを信じて、あなたの人生に迎え入れることは、人生で最も大切な決断です。イエスが神のひとり子であり、私たちの罪のために十字架で死なれたことを、単に知識として認めるだけでは十分ではありません。特別な感動や宗教的な体験が必要なわけでもありません。ただ聖書の約束を信じて、イエスを人生に迎えることを、あなたが決心すれば良いのです。

神はあなたの心のすべてをご存じです。あなたが話す言葉よりも、どのような心で求めるのかが大切です。あなたがイエスを信じたいと願うのであるのならば、以下のように今、神に話しかけてみてください。神に話しかけるというのは、祈るということです。

「神さま、私はあなたを必要としています。私の罪をゆるすため、イエスさまが十字架に死に、死から復活したことを信じます。今、あなたを信頼して、イエスさまを私の人生に受け入れます。どうか、あなたと一緒に人生を歩ませてください。」

「イエスを信じる」という、この祈りを祈るとき、あなたのすべての罪はゆるされます。神の子どもとしての新しい関係が始まります。聖書は、イエスがあなたとともに人生を歩むことを約束しています。イエスは語ります。「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」※15

イエスを信じる人がクリスチャンです。クリスチャンとは「キリストにある者」という意味です。自分の意志で、イエスを信頼する瞬間に、下記のことを含めて、多くのことが起こります。

●あなたの心にイエスが来てくれます。
●あなたのすべての罪がゆるされます。
●あなたは神の愛する子どもとされます。
●あなたに永遠のいのちが与えられます。
●あなたにまったく新しい人生が始まります。

いかがでしょうか。もしあなたがイエスを信じたいと願うならば、ぜひ上記の「イエスを信じる」祈りを今、神に祈ってみてください。

動画版はこちらをご覧ください。

イエスを信じたあと、どのように歩んだら良いのかは、以下のリンクの記事をご覧ください。

 今イエス・キリストを信じました。(クリスチャンとしての成長に役立つページ)
 質問があります。

脚注:(1) 創世記1:1 (2) 詩篇139:13,24 (3) イザヤ43:1 (4) ヨハネ3:16 (5) ヨハネ10:10b (6) ローマ3:23 (7) ローマ6:23 (8) ヨハネ1:14 (9) ローマ5:8 (10) 1コリント15:3-6 (11) ヨハネ14:6 (12) ヨハネ1:12 (13) エペソ2:8,9 (14) 黙示録3:20 (15) ヘブル13:5


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