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聖書に矛盾があるのでは?

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質問: 聖書を読んでいると、同じことを語る記事なのに、書いている内容が違うときがあります。聖書には、矛盾があるのではないでしょうか?

私たちの答え:
「聖書は矛盾に満ちている」という人がいます。矛盾と思えるところでも、よく調べると実は、矛盾ではないことが多いのです。矛盾に見えるいくつかの箇所は、聖書全体の大きさと広がりから見れば、取るに足りないものです。食い違いに見える箇所も、相違ではなく、むしろ好奇心を呼び起こすものです。また、食い違いと思われる部分はどれも、主要な出来事や、重要教理に影響を与えるものではありません。

福音書の記載の違い

聖書で矛盾と考えられる箇所をあげてみましょう。総督ピラトは、イエスがつけられた十字架の上に、「罪状書」を掲げるように命令しました。3つの福音書で「罪状書」について記録しています。

マタイ「これはユダヤ人の王イエスである」※1
マルコ「ユダヤ人の王」 ※2
ヨハネ「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」※3

3つの福音書で「罪状書」に書かれた言葉が違っていています。一見、矛盾しているように見えます。3人の福音書の記者が、同じ出来事を詳細に記録しています。イエスの十字架の詳細な事実の一つが、この「罪状書」です。イエスが十字架につけられた事実自体は、3人とも同意しています。そして、十字架に「罪状書」が掛けられたことも、3つの記事でともに一致しています。

では「罪状書」は正確には何と書かれていたのでしょう。新約聖書の原典はギリシヤ語で書かれています。当時のギリシヤ語では、今日の日本語のような「……」というように、話者が話した言葉をそのまま引用する、直接話法は使いませんでした。当時の引用はすべて間接話法での表現です。福音書の著者は「罪状書」を見て、その意味する言葉を、間接話法で書き留めたのです。著者によって、その表現に微妙な違いが生じたのは、そのためです。

この表現の違いを、3人が会議をして、同じ表現に統一することもできたでしょう。しかしあえて、同じにはしませんでした。それぞれ目撃した内容を、自分の表現で書いているのです。

現在でも、ある事件の刑事裁判で、3人の目撃証人がいたとします。3人の証言が細部までも、ピッタリと合い過ぎていることの方が、問題とされます。人間の記憶力はそこまで完全ではないからです。例えば、犯人が語った一言一句、行動の細部までまったく同じであるならば、むしろ証人たちが口裏を合わせて、偽証していることが疑われます。

十字架に関しても、「罪状書」に何が書いてあったのか、一言一句に至るまでは、人の記憶では曖昧なものです。しかし3人の証人が、十字架の上に「罪状書」が掲げられたこと、表現の細部は不明でも「ユダヤ人の王」と書かれていたことを、記憶していたのです。

四福音書

新約聖書の最初の4つの書物が、福音書です。福音書とは、イエスの生涯を記録した文書のことです。元取税人のマタイが『マタイの福音書』を執筆。ペテロの宣教旅行に同行したマルコが『マルコの福音書』を記録しています。医師でパウロの宣教旅行に同伴したルカは『ルカの福音書』を書き、イエスの弟子の一人ヨハネも独自の視点で『ヨハネの福音書」を書いています。4人の異なる視点と関心、目的で福音書は書かれています。4人の客観的な証言で、イエスの姿が多角的に把握できるように、新約聖書に4つの福音書が配置されています。

ユダヤ的表現

もう一つ例をあげましょう。イエスは十字架で死に、墓に葬られていたのは2晩でしょうか。それとも、3晩だったのしょうか。イエスが十字架につけられる前、このように語っています。

「ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。」※4

また、マルコは別の場面で、イエスが語ったことばを記録しています。「ご覧なさい。わたしたちはエルサレムに上って行きます。そして、人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡されます。彼らは人の子を死刑に定め、異邦人に引き渡します。異邦人は人の子を嘲り、唾をかけ、むちで打ち、殺します。しかし、人の子は三日後によみがえります。」※5

イエスは金曜日の日中に処刑されました。そして復活したのが日曜の朝でした。イエスは「三日三晩」墓の中にいたわけではありません。実際にイエスが墓にいたのは、金曜の日没から土曜日の丸1日、日曜の夜明けまでの48時間足らずの時間です。現在の私たちの言い方では、「丸2日間」という方が正確です。または「二泊三日」と書くべきでしょう。なぜ、マルコは「三日三晩」と記載したのでしょうか。

これは、1世紀のユダヤ式の日にちの数え方によるものです。たとえ1日の一部の時間であっても「一日一晩」と数えたのです。ちょうど「今日は1日中、買い物に行った」と、現在の私たちが話したとしても、文字通り24時間ずっと買い物していた訳ではないのと同じです。

ですから、イエスが死んだ金曜日の日没から、土曜日、復活したのが日曜日の早朝までが「丸2日間」「二泊三日」であっても、イエスの時代のユダヤでは「三日三晩」と表現したのです。

これらは、新約聖書に見られる矛盾点と言われる典型的な箇所です。しかしほとんどは、その聖書箇所の文化的、歴史的な背景を調べると、矛盾ではないことがわかってきます。

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脚注:(1)マタイ27:37 (2) マルコ15:26 (3) ヨハネ19:19 (4) マタイ12:40 (5) マルコ10:33,34


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