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人生の疑問質問

何で人生 大変なのか?

「なぜこんなことが…?」と思う出来事の中で、心に平安をもつ方法はあるのでしょうか?

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度重なる自然災害、伝染病の感染拡大、テロ、児童虐待、職場・学校でのハラスメント、イジメ問題…。この世界で起こる危機的な現状をどう説明したら良いのでしょうか。

世界中で起こる危機的状況を目の当たりにするとき、心の中で「なぜこんなことが…?」と自問する自分に気がつきます。しかし毎日が忙しく、立ちどまって「なぜ?」と考えるほどの余裕は、私たちにはありません。

しかし、もしこれらの危険が自分自身に襲い掛かってくるならば、「なぜこんなことが…?」と考えざるを得ません。伝染病の感染拡大、需要の急激な消失と経済不況。失業。自然災害。離婚や家庭不和。凶悪犯罪。病気による入院。上司からのハラスメント、学校でのイジメ、SNSでの誹謗中傷…。身近に差し迫った危機には、他人事ではいられません。でも「なぜ?」と考えても結局、答えは見つからず、考えること自体をやめてしまいます。そして次の危機が再び、私たちを襲うとまた「なぜそれが起こったのか?」と考えます。しかし私たちでは結局、この「なぜ」の疑問に答えを見い出せないのです。

なぜ人生、悪いことが起こるのでしょう。

悪いことは本来、起こってほしくはありません。しかし確かに人生、最悪な事態は起こります。なぜこの世界は、だれも傷つくことがない「楽園」にはならないのでしょうか。この世界の流れを変えるために、どうしたら良いのでしょうか。

人生の「なぜ」の質問に、聖書は明確な解答を与えています。しかし聖書が与える解答は必ずしも、人が聞きたいと期待する答えとは違うものです。こう言うと不思議に感じるかもしれません。

この世界を変えことができるのは、神だけです。神だけが、歴史の潮流を変えることができます。しかし神は、今すぐには解決を与えないこともあるのです。

祈りの答えが即座に来ないと、私たちはすぐ神に腹を立てます。私たちは、神に今の状況を即刻、変えてほしいと願うものです。私たちはすぐに神に不平不満を語ります。神に責任をなすりつけ、何とか現況を変えてほしいと願うものです。「神は全能でもなければ、愛の神でもない。もし神がいるならば、世界はこのようにはならなかったはずだ。」

しかし神はすぐには現状を変えません。それは、なぜでしょうか。この世界がまるで神が存在せず、神など必要としていないかのように動いているからです。

最初の人、アダムとエバを思い出してください。彼らは、神から禁じられた「善悪の知識の実」を食べました。その実を食べることで、彼らは神のことばを無視し、神を自分たちの人生から締め出したのです。アダムとエバは、自分がまるで「神」になったかのような錯覚をもったのです。

「自分たちには神など必要ない」と彼らは考えました。自分たちのことを、神以上に価値あるものだと考えました。神とともに歩むよりも、自分たちだけで生きることに、魅力を感じたのです。

この世界の現状は、アダムとエバの間違えた選択、罪の結果から生み出されたものです。アダムとエバの人生は、私たちの人生の旅路でもあるのです。口には出さなくても「神だって!?神などいなくたって生きていける!」だれもがこう思ったことがあるでしょう。

私たちはみな、神の存在を無視して、生きてきました。なぜ、神を無視するのでしょうか。それは私たちが、神以外の存在やモノに価値を置き、重要だと考えたからです。

人それぞれ状況は違います。しかし根本的な考え方は同じではないでしょうか。人生で一番大切な存在が、神ではないのです。事実、今までも神を無視し、自分の力で何でもやってきました。

「なぜ」の疑問に、神はどう答えるのでしょう?

神は、人が置かれた現実をよく知っています。人々は自分の選択の結果、神とは正反対の方向に向かい、痛みを伴う結果を招いています。神の導きや介入を拒んだ結果、殺人、嘘、不正、SNS上の誹謗中傷、不倫、ハラスメントやイジメなどの結果を刈り取っているのです。人々は、自分の目に良いと思うことに従って、生きています。結果、その本人も、周りの人々も苦しむのです。

神は、人生の苦難をどう見ているのでしょう。実際に、神は身を乗り出して、私たちを待っています。神はあわれみの心をもって、私たちが神のもとに帰って来ることを待っているのです。そして、神に帰る私たちを、本来あるべき「最高の姿」に変えてくれるのです。

「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしはあなたがたを休ませてあげます。」※1

しかしすべての人が、神を必要としているわけではありません。イエスはこう語ります。「エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。」※2

イエスは、あらゆる問題の究極的な原因は、神と私たちとの壊れた関係にあると、語っています。 「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」※3

不当な取り扱いを受けるときは…

人生は不公平です。自分の原因でもないのに、致命的な状況に陥ることもあります。自分の原因ではなく、言われなき中傷を受けるとき、人から不当に取り扱いを受けるとき、イエスのことを思い出してください。イエスも、残虐な取り扱いを受けました。イエスはその経験から、私たちの苦しい現実を十分に理解できるのです。

イエスは、私たちの身代わりに苦しみを体験しました。イエスが体験した痛み以上の苦しみはありません。イエスは人々から捨てられました。笑い者にされ、殴りつけられ、拷問を受けました。イエスは十字架に釘付にされました。裸にされ、処刑されました。人々の面前で、十字架に付けられ、時間をかけて呼吸不全と多量出血で死んでいったのです。

イエスは、世界を創造した神でした。しかし、イエスはへりくだって、十字架の死にまで従いました。イエスの死は、私たちを罪から解放するためでした。

イエスにとって、十字架は想定外ではありませんでした。イエスは事前に、十字架で起こる詳細を知っていました。その痛み、恥辱のすべてを知っていました。

「さて、イエスはエルサレムに上る途中、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。『ご覧なさい。わたしたちはエルサレムに上って行きます。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡されます。彼らは人の子を死刑に定め、異邦人に引き渡します。嘲り、むち打ち、十字架につけるためです。しかし、人の子は三日目によみがえります。」※4

将来起こる悲劇を事前に知ったなら、あなたはどう行動するでしょう。イエスは十字架の心理的な苦悩と圧迫を、事前によく理解していました。その夜、逮捕されることも、イエスは知っていました。それでもイエスは、弟子たちを連れて、祈りに行ったのです。

イエスは祈りの合間、心の苦悩を打ち明けました。しかしそれを聞いた弟子たちには、イエスの深い苦しみが理解できません。イエスがまた祈り始めると、弟子たちは眠ってしまいました。イエスは、これから待ち受ける痛みも、ひとり見捨てられる極度の悲しみも知っていました。弟子のヨハネはこう説明しています。

「そして、ペテロとゼべダイの子二人を一緒に連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。そのとき、イエスは彼らに言われた。『わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、わたしと一緒に目をさましていなさい。それからイエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈られた。『わが父よ。できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。」※5

痛みや苦しみがある世界で…

この世界には、極度の痛みや苦しみがあります。人の身勝手な行動や憎しみが原因で起こる苦難があります。私たちが原因で起こる悲劇もあります。

神は、神のひとり子イエスを、私たちに与えました。イエスはこの地上で、私たちと同じ痛みを体験しました。そのイエスがあなたと一緒にいるのです。苦難のときも、一緒に耐えてくれます。イエスは弟子たちにこう語ります。

「この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」※6

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためでなく、御子によって世が救われるためである。」※7

この世界には、恐怖を感じる出来事がたくさんあります。しかし、神は平安を与えます。私たちの目の前にある問題よりも、神は偉大です。神は世界の創造者です。その神がいつも、あなたとともにいます。神は力強い存在ですが、私たちと親しい関係を築くことを願う、愛の神でもあります。神は私たちの心の渇望も、実際的な助けの必要もすべて知っています。

「人生、本当に大変だ」と思うときも、この神に信頼しましょう。イエスにより頼みましょう。神はあなたをしっかりと抱いてくれます。イエスはこう語ります。「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がしてはなりません。ひるんではなりません。」※8

イエスは死をも経験しました。そしてイエスは、死から3日目によみがえりました。このイエスが、人生の苦難をともに歩んでくれます。そして信じる私たちに、永遠のいのちを与えるのです。「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」※9

あなたの選択です

私たちはイエスとともに人生を選ぶことができます。同時に、イエスを信じないことを選択することもできるのです。イエスはこう祈りました。

「正しい父よ。この世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っています。また、この人々は、あなたがわたしを遣わされたことを知っています。わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。あなたがわたしを愛してくださった愛が彼らのうちにあり、わたしも彼らのうちにいるようにするためです。」※10

「何で人生こうも大変なのか」と思うことは、だれでもあるものです。人がその人生から神を締め出すと、簡単に憎しみに引き込まれます。攻撃的になり、人を容易に傷つけ、相手の心も思わず破壊的な批判を繰り返し、殺人すら、いとわなくなります。イエスはこう語っています。

「盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたしが来たのは、羊がいのちを得るため、それも豊かに得るためです。」※11

イエスを信じて、神が与える新しいいのちを自分のものとしてください。イエスがあなたとともに人生の苦難を乗り越えてくれます。

先行きが見えない社会でどのように心の安らぎを得ることができるかは、こちらの「不穏な世界でもつ平安」 のページをご覧ください。

イエスの十字架に関してはこちらの「なぜイエスは死んだのか」をご覧ください イエスの十字架に関してはこちらの「なぜイエスは死んだのか?」をご覧ください。

 イエス・キリストとの個人的な関係を持つには
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脚注:(1) マタイ11:28 (2) マタイ23:37 (3) ヨハネ8:12 (4) マタイ20:17-19 (5) マタイ26:37-39 (6) ヨハネ1:10-12 (7) ヨハネ3:16,17 (8) ヨハネ14:27 (9) ヨハネ16:33 (10) ヨハネ17:25,26 (11) ヨハネ10:10


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