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ユダヤ教とキリスト教

ユダヤ教とキリスト教はどちらもメシア(救世主)に対する信仰をもっています。なぜ多くのユダヤ人は、イエスをメシアとは捉えていないのでしょうか?

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私たちの答え:
皆さんは、どうしてユダヤ教がイエスをメシアとして受け入れていないのか、考えたことはありますか?確かに「Jews for Jesus」のようなユダヤ人にイエスを伝える宣教団体は、近年多くのユダヤ人がイエスを信じるようになっていると紹介しています。そしてそれは事実です。しかし、ユダヤ教全体としてはイエスが彼らの救世主だと考えないのは、なぜでしょうか?

端的に言うならば、イエスは彼らが期待していたメシアのイメージとは、合わなかったからです。実際、イエスがしたことのほとんどは、メシアについてユダヤ人たちが抱いていた見方に反していました。

たとえば、イエスの時代、ユダヤ人の宗教指導者たちは、安息日(神がイスラエルの民に定めた特別な日であり、この日はどんな労働もしてはいけない)に関する聖書の律法を厳しく守っていました。しかしイエスは、他の日と同じように、安息日にも人々の病気をいやされました。ユダヤ人はこのことに気分を害しました。イエスが本当のメシアであるなら、彼は神によって立てられた宗教規則に反するはずがないと考えたからです。そのような事件の一つを聖書から見てみましょう。イエスは、生まれつき足の不自由な38歳の男性に出会いました。

イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」
すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。そこでユダヤ人たちは、そのいやされた人に言った。「きょうは安息日だ。床を取り上げてはいけない。」 しかし、その人は彼らに答えた。「私を直してくださった方が、『床を取り上げて歩け』と言われたのです。」彼らは尋ねた。「『取り上げて歩け』と言った人はだれだ。…その人は行って、ユダヤ人たちに、自分を直してくれた方はイエスだと告げた。このためユダヤ人たちは、イエスを迫害した。イエスが安息日にこのようなことをしておられたからである。※1

もちろん、ユダヤ人の指導者たちは、安息日にイエスが病気のいやしを行なったこと以外にも、イエスに関する多くの疑問を抱いていました。彼らは、イエスがメシアであるならば、イエスも自分たちのように考え、振る舞うべきだと考えていました。しかし、イエスは泥棒や売春婦を非難するのではなく、かえって彼らと一緒に時間を過ごしました。イエスは公に宗教指導者と彼らの行動に敬意を払うのではなく、かえって彼らの偽善を厳しく指摘しました。さらには、イエスは永遠のいのちを与えるために来たけれども、イエスを信じない限り、だれもが罪の中に死ぬことを露骨に告げました。ユダヤ教の指導者たちがイエスをメシアだと認めることは困難なことでした。

では、当時のユダヤ教の指導者たちのメシアに対する見方はどのようなものだったのでしょうか?当時も現在も、ユダヤ人が待ち望んでいるメシアの姿は、イスラエルを永遠に統治する政治的な救世主である王です。

聖書には、このメシアが支配し、勝利をおさめた王として来て、彼の王国を築くことに関する多くの預言が含まれています。イエスが統治する王国の樹立はまだ起こっていませんが、イエスがもう一度、この地上に戻って来るときに起こります。王としての救世主の描写に加えて、他の何百もの聖書の預言が、明らかに彼らの罪のゆるしのための救世主の姿として描写しています。

この罪からの救世主の姿こそがイエスが、一度目にこの地上に来られた時にしたことです。この事実を当時のユダヤ人の多くが信じました。事実、メシアであるイエスを世界に伝えたの最初の人たちは、当時のユダヤ人でした。しかし同時に、他の多くのユダヤ人はこの事実を拒否しました。

イエス・キリストが来たとき、彼の人生は聖書の300以上の預言と完全に一致していました。預言者ミカはメシアがベツレヘムで生まれることを預言しました。イザヤはメシアの奇跡的な誕生(処女が身ごもること)を予告しています。預言者ゼカリヤは、メシアがロバに乗ってエルサレムに入城すること、また弟子の1人が銀貨30枚でイエスを裏切ることを予告しました。

イザヤは「主に油そそがれた人は、良い知らせを貧しい人々に伝え、傷ついた人をいやす…」※2と述べました。ダビデは、メシアの手と足は刺し通され、兵士が彼の衣服をくじ引きにして分け合うことを予告しました。

「イエスは旧約聖書にある300以上の預言を完全に成就しました。ある人がこれらの預言のうちの8つでも満たす可能性は、100,000,000,000,000,000分の1です。」※3

聖書のメシア預言はイエスによって実現しました。しかしユダヤ人の多くにとって、メシアとは他国との紛争から最終的にユダヤ人を解放する「政治的救世主」でした。イエスの時代、ユダヤはローマ帝国によって支配されていました。多くのユダヤ人は、イエスが彼らをローマ帝国から解放する救世主であることを望んでいたのです。

この期待によって、大勢の群衆はパレードでイエスをエルサレムに迎えました。イエスがロバに乗ってエルサレムに入って来た時、彼らはヤシの木の枝を道に敷きました。これは、メシヤ預言の成就の一つでした。群衆は「祝福あれ。主の御名によって来られる方に」と叫びました。

イエスの弟子たちも「今こそ、王国を築いてくださるのですか?」と熱心に尋ねました。だれもが、イエスがユダヤ人をローマ帝国の支配から解放してくれることを望んでいました。しかし、それはイエスが一度目にこの地に来た目的ではありません。イエスは、イザヤがメシアについて預言したことを成就するために来ました。

「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」※4

イエスが来たのは、ユダヤ人を含め、全人類の一人ひとりの罪の代価を支払い、彼らの罪がゆるされるためでした。しかし、当時のユダヤ人が待ち望んでいたのは、彼らの罪の代価を払ってくれる救世主ではなく、彼らの国を解放し、支配してくれる政治的「救世主」でした。

ユダヤ人がローマ帝国に支配されたのと同じように、今日でもイスラエルは他の国々からの緊張と圧力を受けています。聖書によると、エルサレムは、イエスがもう一度戻ってくるまで、政治的混乱の中心であり続けます。そして、イエスが二度目に来られるのは、私たちの罪の代価を支払うためではありません。イエスは、メシアについての聖書の預言の残りの部分を成就のために、王として、勝利者として、また裁き主として来られるのです。

ヨハネの福音書1章には、イエスについてこう書かれています。

「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」※5

この記事はイエスを信じるべき根拠について書かれています。どうぞこちらもお読みください:
https://www.studentinjapan.com/a/jes7.html

 イエス・キリストとの個人的な関係を持つには
 質問や意見があります

脚注: (1) ヨハネ 5:8-16 (2) イザヤ 61:1−3 (3) Peter Stoner, quoted by Josh McDowell, The New Evidence that Demands a Verdict, Nelson, Nashville, 1999. 邦訳ジョシュ・マクドウェル著、中村光弘・川端光生監訳『徹底検証キリスト教・信じる根拠はどこにあるのか』第二巻、いのちのことば社、2014年, pp.185-187. (4) イザヤ 53:3-6 (5) ヨハネ 1:9-12


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