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信じたら 変わります?

人は一人では生きていけません。だれかがこの人生を一緒に歩んでくれたら、どれほど頼もしいことでしょう。イエスを信じるとき、イエスが私たちの人生をともに歩んでくれます。

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マリリン・アダムソン

「この世界を創造し、運行する神を知らずに生きる人生ほど、残酷なものはない。」※1 かつてJ.I. パッカーはこう語りました。

イエスを信じる前の私は、どんな状況にも通用する哲学、人生へのアプローチがないかと、絶えず何かを探していました。生きる意義がわかれば、何でもできる。人生の目標や、生きるスキルがあれば、何でも自分の力で何とかできると思っていました。

自分なりにいろいろ試しました。納得できるまで、哲学も学びました。そして、学んだ哲学を実際の生活で試してみました。しかしどの哲学も非現実的で、物足りませんでした。

実は、私が本当に必要としていたのは、哲学や思想ではありませんでした。むしろ、一緒に人生を歩んでくれる「だれか」の存在でした。無限の知恵をもって私を導く存在を、私は必要としていたのです。

神はいるのか?

その頃、ある友人と出会いました。彼女がきっかけになって、私は人生を別の方向から考えるようになりました。「神は、本当に存在するのか?」この問いから、1年半の時間をかけて神の存在の証拠を調べました。その結果、私はイエスを信じる決心をしたのです。

聖書にも、私が発見したことと同じことが書かれています。「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」※2

この箇所では、イエスに出会った人の人生の変化が書かれています。イエスがこうも語っています。「わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。」※3

新約聖書の最初の四書、福音書を読んだとき、私は正直、その内容に驚きました。福音書とは、イエスの生涯の記録です。その福音書に、イエスが私たちをどのようにに愛しているかが、詳しく書かれていたのです。

初めは、知的好奇心からの探求でした。しかし次第に、神に対して、個人的な認識を得るようになりました。神は、私の考えを超えて、はるかに偉大な存在であることがわかったのです。

愛である神

神の愛は「もしあなたがこれをしたら…」とか「あなたがこれをしたとき…」といった条件で決まるものではありません。私たちの行動によって、神に受け入れられ、神に愛されるかが、左右されるわけではないのです。たとえ、私たちの行動がふさわしくなくても、神は私たちを愛しています。それは神の性質そのものが、愛だからです。

ダビデは詩篇の中でこう語っています。「あなたの恵みはいのちにもまさるゆえ、私の唇は、あなたを賛美します。」※4

神との個人的な関係が始まると、人生は意味あるものとなります。

人生が変わるのか?

「神を知るとき、人生は変わるのでしょうか?」この質問に対して、私は確信をもって答えることができます。「はい。確かに、あなたの人生は変わります。」毎日、多くの読者が私たちこのサイトを訪れています。読者の皆さんからいただいたコメントの一部をご紹介します。

- ただ神を信じることができて、とても喜んでいます。

- 今、神との関係が始まりました。私があるべき本来の姿になれたように感じています。

- 心が開かれ、神との関係がわかりました。

- 6週間前まで、イエスのことを知りませんでした。しかし今、キリストとの関係のすばらしさに気がつきました。多くの重荷が取り除かれました。

- このサイトが、神への探求のきっかけとなりました。でも実際、私を愛し、追いかけていたのは、神の方であったことがわかりました。

- 救い主イエスについてゆっくりと学んでいます。…神はすばらしい方です。聖書通信講座でヨハネの福音書を読むのが楽しみです。神について、もっと知りたいです。

- 神と私自身について知るきっかけを与えてくれて、ありがとうございます。

- 心が壊れて、自殺する直前でした。しかし神がともにいることを知ったとき、うれしくて涙がとまりませんでした。死ぬことを思いとどまることができて、良かったです。

- 永遠のいのちとは、御子イエスが私と一緒にいる「いのち」だとわかりました。イエスのいのちが私に与えられたことを知り、そのことを思うたびに、喜びと感謝でいっぱいになります。

イエスがともにいる

神が、あなたの人生を変えます。でも、人生から問題がなくなるのではありません。生きる限り、さまざまな問題があります。私たちは人間に過ぎません。また、私たちが生きるこの世界は、完璧からは程遠いものです。

しかしイエスはこう語りました。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」※6

私たちは、目隠しをされて、人生を歩んでいるのではないのです。イエスが私の人生を導いています。イエスが恐れを取り除きます。どのような状況に直面しても、神は信頼できるのです。

イエスはこう語ります。「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がしてはいけません。ひるんではなりません。」※7

イエスは、あらゆる問題よりも力強い方です。このイエスが親しい友人として、人生のあらゆる問題の只中を、一緒に歩んでくれるのです。

私を束縛し、奴隷として従属させる弱さが私のうちにもあります。たとえば、本当は怒りを表に出したくないのに、ついキレてしまうこともあります。寛大でありたいと願っても、自分のやりたいことを優先させたくなります。人を憎む心と葛藤することもあるのです。

自分でもどうしようもできない、このような私の弱さをも、イエスは変えることができるのです。イエスはこう語ります。「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」※8

イエスが、人生の見方を変えます。イエスは、人に対する認識を変えてくれます。イエスはまた、私自身を見る視点さえも変えてくれるのです。神は驚くべき存在です。また神は、あなたの想像以上に、現実的な存在なのです。

神の子ども

イエスはあなたを、心から愛しています。私たちが神に近づけるように、神がその道もすでに用意しているのです。人が神とつながる妨げとなるのが罪です。罪とは、神が喜ばれない考えや行動です。この罪が、聖なる神から私たちを引き離します。

その罪の結果が、死です。死とは、私たちが神から永遠に引き離されている状況です。しかし神の愛のゆえに、神の子イエスが私たちの身代わりに十字架で死んだのです。

イエスは語ります。「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」※9

イエスが十字架上で死んだことで、私たちの罪は永遠にゆるされます。神と人とを隔てる罪の壁が、完全に取り除かれました。

「しかし、この方(イエス)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」※10

イエスを信じるすべての人と、神は関係を結んでくれます。神のゆるしを受け入れる人は、神の子どもとされたのです。神は私たちをご自分の子どもとして、特別に扱ってくれるのです。

しかし「神の子ども」になったからと言って、神は私たちを「子ども」扱いはしません。むしろ私たちが自分で判断できる「大人」として、愛をもって尊重してくれます。考える方向性は示しますが、あなたが自分で決断できるように配慮してくれます。決断ができるまで、何度もコミュニケーションを取り続けてくれます。

双方向の関係

この世の「宗教」は一方通行の関係です。宗教を信奉するとは、神に対して、努力する必要があります。あなたが神を崇拝し、神に儀式を行う必要があります。戒律を守り、神に自分をささげる必要があります…。どれも義務的です。神との親しい「関係」ではありません。

一方聖書は、神との「関係」を明確に語っています。神は、あなたをこの「親子関係」に招いています。神は、あなたのために用意した特別な計画に、あなたを導きたいのです。

神はあなたと親しい関係を望んでいます。私たちが神を知り、神に信頼をよせてほしいと、神は待っているのです。

神のコーチング

最近では、多くのビジネス・リーダーが専門のコーチから「コーチング」を受けています。コーチは効果的な質問を投げかけることで、今直面する問題を多角的に考えるように促してくれます。人生について、毎日のスケジュール、人間関係の決断で、より生産的で、満足のいく人生へと導くように助けるのが、コーチの存在です。

神は、ビジネスコーチよりも、私たちのことをよく知っています。私たちの過去も、現在、未来に至るまで、神は知っています。すべての人間関係と、人生への影響をも、神は熟知しています。私たちが創造された目的も、私たちの必要も、重荷になっている部分も、変えたいと願う人生の領域も、神は知っています。

イエスはあなたに「これをしなさい」と命令するよりも、効果的な質問を投げかけます。私たちが自ら考え、答えを出すように助けてくれます。

イエスは私たちに、自ら考え、答えを出す自由へと導きたいのです。「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」※11

イエスは恐れや目的の喪失、心配、憎しみ、破壊的習慣から、私たちを解放します。

安らぎを与える

宗教は、たくさんの義務を押しつけます。一方、イエスは私たちに安らぎを与えます。イエスは語ります。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしはこころが柔和でへりくだっているから、…わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。」※12

人生は簡単ではありません。しかし心配の中にも、力強い神がいます。その神が、あなたの心に平安を与えます。力を与えます。

神は知恵深く、配慮のある方です。神が、あなたの祈りに答えてくれます。でも必ずしも、あなたが祈った、その通りになるという意味ではありません。神は、私たちのことをよくご存じです。神は、私たちの面倒を見てくれます。神は、私の願った以上の、最善な答えを与えてくれます。神は「私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方」だからです。※12

あなたが神を深く知るほどに、神への信頼は深まります。イエスはこう語ります。「わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行う人がみな、どんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せても、しっかりと建てられていたので、びくともしませんでした。」※13

イエスのことばを聞き、そのことばを実行するとき、神が働きます。神の働きを目撃するとき、神への確信が確固たるものになるのです。

神との関係

イエスを信じるとは、あなたの人生にイエスを迎えることです。イエスを信じるとき、神のゆるしを受け取ります。イエスを信じるとき、神との永遠に続く関係が始まります。イエスは、この関係にあなたを招いています。

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」※14

イエスを信じるとき、神の子どもになります。神はあなたを愛する子どもと、見てくれるのです。この神の家族の関係に、あなたも加わりませんか。もしこの関係に入りたいと願うならば、このように祈ってみてください。

「神さま、私はあなたとのこの新しい関係を始めたいです。私の罪をゆるすため、イエスさまが代わりに死に、よみがえられたことを感謝します。今、あなたに信頼します。イエスさまを私の罪からの救い主として受け入れます。どうぞ、あなたと親しく歩む人生を歩ませてください。アーメン。」

神とあなたとの関係は、永遠に続きます。

イエスを信じる人に対して、イエスはこう語ります。「わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。」※15

またイエスはこうも語ります。「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」※16 イエスは決して、あなたを見放しません。イエスはいつもあなたとともにいて、人生をともに歩んでくれます。このイエスの約束に信頼を置き続けてください。

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脚注: (1) J.I. Packer; Knowing God; InterVarsity Press, p14. (2) 2コリント5:17 (3) ヨハネ10:10 (4) 詩篇63:3 (5) 詩篇36:9 (6) ヨハネ8:12 (7) ヨハネ14:27 (8) ヨハネ8:32 (8) ヨハネ15:13 (9) ヨハネ8:31,32 (10) ヨハネ1:12 (11) マタイ11:28,29 (12) エペソ3:20 (13) ルカ6:47,48 (14) ヨハネ1:12 (15) ヨハネ10:27-28 (16) ヘブル13:5

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