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復活はあったのか?

十字架の死から3日後に、イエスの墓は空でした。イエスは本当に復活したのでしょうか。

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イエスの十字架と復活は、聖書のクライマックスです。キリスト教信仰の根幹でもあります。先日も読者の方から、このようなお便りをいただきました。

「聖書の福音書を読むと、イエスが語った教えには共感できます。またイエスの十字架の死も感動的です。しかし復活について、どうしても理解できません。本当に復活はあったのでしょうか。」

確かにイエスが十字架につく場面は、神の愛の大きさに感動します。しかし死んだイエスがよみがえったと聞くと、どこか非現実的に感じてしまいます。「神話」のようにも感じます。むしろ復活の場面がない方が「多くの人にとって、聖書は信じやすくなるのでは……」と言う意見も聞こえてきます。

復活は必要か?

使徒パウロは当時、教会で唱えられた信仰告白を引用して、こう語ります。

「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたいのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。…そして最後に、月足らずで生まれた者のような私にも現れてくださいました。」※1

パウロは聖書で一番大切なこととして、4点をあげています。

①イエスが十字架で死んだこと
②死んで墓に葬られたこと
③死から復活したこと
④多くの人々が復活のイエスを目撃したこと

そしてパウロ自身も、ダマスコへの途上、復活のイエスに出会ったと証言しています。十字架とともにイエスの復活も、聖書で一番大切な出来事として伝えていると、パウロは語っているのです。

復活がなかったら…

そして、パウロはこうも言っています。「そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。」※2

キリスト教信仰の根幹は、まさにイエスの復活にかかっています。もしイエスの復活がなかったら、キリスト教信仰は意味のないものになります。復活がなければ、罪のゆるしは与えられません。私たちは、まだ罪の中にいるのです。

あなたはイエスの復活を信じられるでしょうか。イエスの復活は歴史上、本当に起こった出来事なのでしょうか。

復活を検証する

ジェームス・ワーナー・ウォレンス(J. Warner Wallence)※3 は、アメリカ・カルフォルニア州トーランスの警察官でした。ウォレンスは、未解決殺人事件を専門に担当する部門の管理官として、数々の捜査を指揮しました。

ウォレンス自身が信仰を持つきっかけとなったのが、彼の妻がイエスを信じたことでした。ウォレンスが信仰をもつ最大の障壁になったのが、イエスの復活でした。しかし事件解決の手法をもとに、証拠を一つひとつ検証する中で、彼はイエスの復活を信じるに至ったのです。

ウォレンスはのちに、自らがたどった検証の道筋を著書に記しています。彼の未解決事件の捜査手法にもとづき、イエスの復活を検証していきましょう。

消えた遺体

復活に関する、第一報はイエスの遺体が墓からなくなっているという女性たちの報告です。十字架から翌々日の日曜の早朝、マグダラのマリアをはじめとする女性たちは、イエスの墓に出向きます。金曜日の日没が近づき、途中になっていた埋葬の処理を完成させるためでした。

女性たちが墓に到着すると、すでに墓の入口の石が取り除けられていました。中を覗くと、墓からイエスの遺体がなくなっていました。この事実を女性たちはただちに弟子たちに報告。すぐにペテロとヨハネが墓に駆けつけます。2人が墓を確認すると、遺体を巻いた布だけがその場に残され、遺体はなくなっていました。

女性たちが墓に到着すると、すでに墓の入口の石が取り除けられていました。中を覗くと、墓から遺体がなくなっていました。この事実を女性たちはただちに弟子たちに報告。すぐにペテロとヨハネが墓に駆けつけます。2人が墓を確認すると、遺体を巻いた布だけがその場に残され、遺体はなくなっていました。

殺人事件でも、遺体が見つからないケースはよくあると、ウォレンスは語ります。遺体が発見されない場合、①事件に至る経緯、②事実から見える仮説の検証、③事件後の影響を検証することで、どのような事件が起こったのかを検証することができるのです。

1.事件に至る経緯

まず、イエスの遺体が消えたという「事件」に至る経緯を検証してみましょう。まず当事者であるイエスは生前、復活について、度々言及していました。しかも、復活は死の3日後に起こることを明言していたのです。

復活は預言されていた

「それからイエスは、人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。」※4

別の場面で、イエスはこうも語っています。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めますが、しるしは与えられません。ただし預言者ヨナのしるしは別です。ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。」※5

イエスはまたこうも語っています。「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる。」※6

このイエスの発言に関して、弟子のヨハネは「イエスはご自分のからだという神殿について語られたのであった」と説明しています。

イエスは生前、自分が十字架で死んで、3日目に復活することを預言していました。イエスが神であるならば、この預言は成就されなければなりません。

もしこの預言が成就しなかったら、イエスは「嘘つき」になります。イエスの教えも、信頼性が失われます。聖書全体も嘘ということになります。イエスは単に死んでしまった「人」に過ぎなくなります。復活はキリスト教信仰の根幹なのです。

むち打ち

続いて、イエスが殺害された状況を検証していきましょう。特に、イエスの死因を法医学者の視点で、確認します。

イエスは逮捕され、まずむち打ち刑を受けます。当時のむちは皮ひもに鉄球と鋭い骨が組み込まれていました。むちを打つ度に、背中から腰、足へとひどい打撲と外傷が生じます。むちは通常、39回打たれたようです。むち打ちのあとは皮膚はボロボロ。脊髄、血管、筋肉、背骨さえもむき出しになるほどでした。

むち打ちだけで当時、死んでしまう人もいたようです。大量の出血が起こると、肝臓も排尿作用をやめ、体内に少しでも水分を蓄えようとします。身体は水分を欲して、異常にのどが渇きます。イエスは実際「わたしは渇く」と語り、のどの渇きを訴えています。

心臓は少ない血液で、何とか身体全体に酸素を行き渡らせようとします。すると心拍数が急上昇。一方で血圧は急降下して、気を失います。

むち打ちの後、十字架を背負い、刑場へと引かれるイエスは途中、何度も倒れます。十字架につけられる前に、イエスは「血液量減少性ショック」で、すでに重体の状態でした※7。

十字架 その死因

十字架刑はさらに過酷なものでした。イエスは十字架の横木の上に寝かされます。手首に18cmの大釘を打ち込まれ、横木に固定されます。手首は神経が集中する場所です。釘が打たれただけで、激痛が走ります。

その後、横木は縦木に吊るされ、固定されます。重力で全体重が、両手首の釘に集中します。十字架に吊るされると、腕は約15cm伸びます。両肩も脱臼します。十字架に吊るされたイエスの足首にも、大釘が打ち込まれ、身体が固定されます。

人は息を吸うとき、胸筋と腹筋、横隔膜に力を入れます。息を吐くとき、筋肉と横隔膜の力を緩める必要があります。十字架の上では、腹筋の力を緩めるため、足を伸ばして、身体を少し持ち上げる必要があるのです。

息を吐くたびに、釘が刺さる足に激痛が走ります。しかし足を動かさないと、呼吸ができません。呼吸のたびに身体は消耗。最終的に足でわずかに身体を持ち上げることもできなくなります。その結果、呼吸できなくなり、窒息死するのが十字架です。

血と水

イエスの場合、十字架につけられる前から「血液量減少性ショック」の症状が出ていました。十字架上で、心拍数は異常に上昇していたはずです。

心臓に多大な負荷が掛かり、心不全に陥っていました。すると、心臓の周りの細胞膜に心外膜液が集まります。肺にも胸水がたまります。

心拍異常の中、イエスは大声でこう叫びます。

「『父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。」※8

兵士たちは注意深く、イエスの死亡を確認しました。そして最終確認のため、十字架上のイエスの遺体の脇腹を槍で突きました。

「しかし兵士の一人は、イエスの脇腹を槍で突き刺した。すると、すぐに血と水が出てきた。」※9

槍は肋骨から心臓、肺を突き通します。すると心臓と肺に溜まった透明な心外膜液と胸水が噴き出ます。そして、血液も大量に流れ出しました。イエスは確かに死んでいたのです※10。

埋葬

イエスの死体は、アリマタヤ出身のヨセフが総督の許可を受けて、十字架から降ろして、私有の墓に埋葬します。埋葬にはニコデモや、マグダラのマリアをはじめとする女性たちも加わります。

当時の墓は、岩盤を掘った穴や天然の洞窟が使われ、大人が数人入れるほどの大きさがありました。イエスの遺体を亜麻布で包まれます。日没が迫っていたので、遺体の処理は完全にできず、墓の蓋を閉めました。

金曜の日没から安息日が始まります。安息日には、女性たちは休みました。そして、安息日の明けた日曜日の早朝、埋葬処理の続きを行うために墓に向かいます。すると墓石は取り除けられ、遺体がなくなっていたのです。

「三日」後の復活

イエスが十字架で死んだのは、金曜の午後です。そして復活したのは日曜の早朝です。現在の私たちの感覚だと、イエスが死んでいたのは1日半ほどになります。

しかしユダヤ的な感覚では、ある出来事が数時間でもその日にかかっていると一日とカウントします。ユダヤでは一日は日没から始まり、翌日の日没までが一日です。

イエスが死んだ金曜の午後から金曜日没までも「一日」にカウントします。金曜日没から土曜日没までで「一日」。土曜日没からイエスが復活した日曜日早朝までも「一日」になります。ユダヤ的には、イエスの復活は十字架から「三日」後になります。

2.仮説を検討する

ここまでは、イエスの遺体が消えるまでの「事件」の経緯を見てきました。ここからは遺体が消えた事実から考えられる可能性を一つひとつ見て、どの仮説が一番合理的かを検証していきましょう。

①失神説

最初の仮説は「失神説」です。イエスは十字架で、実際には死んではおらず、失神していただけだとする説です。疲労と激痛、体内血液量の消失で、イエスは単に意識を失っていただけで、埋葬後、墓の冷気で意識を取り戻したとするものです。

しかし前に見たイエスの死因の法医学的な検証で、イエスの死亡は確かであったことは、すでに検証しています。仮にイエスは死んでいたけれど、墓の中で自然と蘇生したとしましょう。それでも3日間、食事も水も摂らず、十分な治療も行われていません。

心臓が動き出しても、身体に巻かれた布を取り除く体力は残っていなかったはずです。墓の入口の石を動かす力が、イエスに残されていたしょうか。警備するローマ兵に打ち勝つ力が残っていたでしょうか。両腕、両足の釘の打ち傷で神経が破壊されています。何キロも歩くことができたでしょうか。この説は論理的にあり得ません。

②弟子たちによる窃盗説

イエスの墓は、祭司長の命令で番兵たちが警備していました。しかし番兵が寝ている間に、イエスの弟子が遺体を盗んだと言うのが、この仮説です。しかし屈強な兵士が部隊ごと、任務中に眠ることがあり得るでしょうか。ローマ軍の規律では死刑に当たる違反行為です。

さらには、復活のイエスを目撃した弟子たちは全世界に出ていき、復活のメッセージを伝えます。彼らは各地で逮捕され、殉教の死を遂げています。

事実でもないことのために、自分の命を投げ売って、信仰を守ることがあり得るでしょうか。作り話のために、弟子たちが死ぬことはあり得ません。

③宗教指導者による窃盗説

当時のユダヤ教の宗教指導者たちが、イエスの遺体を持ち出した可能性はあるでしょうか。人々がイエスを信じないように、宗教指導者たちが首謀して、イエスを十字架につけたのです。

もし彼らが遺体が盗んだのなら、イエスの死体を公表することで、初代教会を完全に根絶することができたことでしょう。しかし宗教指導者は、そうはしませんでした。

④誤認説

日曜の朝、最初に墓に行った女性たちが、墓を間違えたことはあり得るでしょうか。彼女たちは失意と悲しみの中、朝もやの中で道を間違え、埋葬前の別の墓を見て、イエスが復活したと希望的想像をしたする説です。

もし女性たちが単に墓を間違えたのなら、のちに大祭司たちが本当のイエスの墓から死体を取り出して公表すれば、キリスト教信仰を完全に否定できたはずです。

これら4つの仮説には、論理的に矛盾があります。やはり聖書が語るように、イエスは死から復活したと考えるのが、論理的に一番しっくりくる結論ではないでしょうか※11。

3.証言を検証する

確かに、埋葬された墓の中で、イエスが死から復活する過程を目撃した証人はいません。しかし復活したイエスに出会った証言は数多くあります。復活のイエスを目撃した人々の生き方の変化から、本当に復活があったのかを検討してみましょう。

当初、弟子たちも、イエスの復活には懐疑的でした。そんな弟子たちが復活を信じることができたのは、復活のイエスが弟子たちに何度も現れ、食事をし、実際に話をしたからです。

ペテロと弟子たち

「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたいのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。」※12

復活したイエスは、ケファに現れます。ケファとは、ペテロのアラム語の名前です。復活のイエスは、ペテロの前に現れます。復活後の栄光のからだをもっていることを示すため、イエスはペテロをはじめ弟子たちの前で魚を食べ、手の傷、脇腹の傷も見せました。

ガリラヤ湖で漁に行くペテロと弟子たちに、復活のイエスは朝食を準備しています。イエスを知らないと否認したペテロに、湖畔で個人的に語りかけたのも、復活のイエスです。そして「わたしの羊を飼いなさい」と新たな使命を与えました。

40日間、復活のイエスはたびたび弟子たちに現れ、ご自分が生きていることを示しました。そして弟子たちが見ている前で、エルサレム近郊のオリーブ山から昇天します。

復活後イエスが出会った人たちのリストは以下の通りです。

●マグダラのマリア(ヨハネ20:10-18)
●女たち(マタイ28:1-10)
●エマオの途上の二人の弟子(ルカ24:13-32)
●11弟子と信者たち(ルカ24:33-34)
●トマス以外の使徒10人と信者(ヨハネ20:19-23)
●トマスと他の使徒(ヨハネ20:26-30)
●弟子たち7人(ヨハネ21:1-14)
●弟子たちと信者たち(マタイ28:16-20)
●昇天前弟子たちと(ルカ24:50-52, 使徒1:4-9)

最初の証人

墓が空になっていることを最初に知って、弟子たちに報告したのも、マグダラのマリアと女性たちでした。また復活のイエスと最初に会ったのも、彼女たちでした。

当時のユダヤ社会では、女性の裁判での証言は認められていませんでした。それほど女性たちの社会的地位が低かったのです。

もしイエスの復活の聖書の記事が後世、捏造・改修されたのであれば、女性が最初の復活の証人であることを書き換えたはずです。しかし女性たちが最初の目撃証人だと記しているところを見ると、それが事実だったと言えるのではないでしょうか。

弟子たちの変化

ヨハネ20:19では「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちがいたとろこでは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていた」と書かれています。

復活のイエスに出会う前、弟子たちは自分たちも逮捕されるのではないかと恐れ、扉も厳重に鍵をかけるほどでした。しかし復活のイエスに出会ったペテロは、180度その人生が変えられました。

その数ヶ月後、ペテロは大胆にエルサレムの路上に立ち、大勢の群衆の前でイエスの復活を語っています。「このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。」※13

ローマの百人隊長コルネリウスの前でも、ペテロはこう証言します。「私たちは、イエスが死者の中からよみがえられた後、一緒に食べたり飲んだりしました。」※14

また「イエスは、ご自分と一緒にガリラヤからエルサレムに上った人たちに、何日にもわたって現れました。その人たちが今、この民に対してイエスの証人となっています。」※15

ペテロをはじめとする弟子たちは、復活のイエスに出会い、イエスの復活を大胆に証しします。「行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」という復活のイエスの命令を真剣に受けとめ、世界中に出て行き、イエスの福音を伝え、教会を開拓しました。

弟子たちはイエスの復活を伝えたために、現地の人々から暴力を振われ、投獄されました。弟子たちの多くは、殉教の死を遂げたのです。それは彼らが復活のイエスに出会い、彼らの心が180度変えられたからです。

『弟子たちに何が起こったのか?』の記事もお読みください。

500人以上の証人

パウロは、復活のイエスに出会った人たちは500人を超えると語っています。

「その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。」※16

普通、嘘を広げるために、その事件から80年以上経過している必要があると言われます。80年経つと、証人たちも全員死んでいるからです。

しかしパウロがこの『コリント人への手紙第一』を書いたのは、紀元55-57年のことです。イエスの復活から20数年後のことです。

パウロが執筆した時点で、復活のイエスを直接目撃した証人の大多数がまだ生きていました。もしパウロが間違えた内容を記載したら、彼ら証人たちが間違えを正したはずです。また疑いをもったなら、直接これら500人以上の証人にインタビューして、事実を確認することもできたのです。パウロも、500人以上の大量の証人たちも、イエスの復活を大胆に証ししていました。


歴史学的認定法

復活の証人がこれだけ多くいるならば、他の歴史家もイエスの復活について書いているはずです。歴史学では、全く関係のない書物が、ある出来事について書いている場合、その出来事が歴史上実際に起こったことととして認定されます。

当時、イエスの復活の証人たちによって、イエスの復活は多くの人たちに知られていました。当時のキリスト教に反対する立場の歴史家たちも、その書物にイエスの復活とその影響について記載を残しています。

ユダヤ人歴史家のフラウィウス・ヨセフス(38-100年)は、その著書『ユダヤ古代誌』の中でイエスの復活について、こう書いています。

「この頃、イエスという賢人が現れた。イエスはだれもが驚く奇跡を行った。イエスは多くのことを教えた。ユダヤ人とギリシヤ人から、彼に従う者が起こされた。……ユダヤ人指導者たちが告訴すると、ピラトは十字架刑の判決を下した。……彼は3日目に復活して、彼らの中にその姿を見せた。」※17

ローマの歴史家スエトニウス(70-160年頃)は『皇帝伝』の中で、クリスチャンについてこう書いています。「クリスチャンは新しい迷信、キリストの復活を信じている。」

小プリニウス(61-113年頃)も当時迫害されていたクリスチャンについてこう書いています。「クリスチャンは毎週日曜日に集まり、キリストの復活を祝っている。」

彼らは教会に対して、肯定的な感情を持っていませんでした。むしろ否定的、軽蔑的な記載を多く残しました。しかしそんな、キリスト信仰に否定的な著者たちがそれぞれ独立した資料から、イエスの復活について言及しています。

当時、イエスの復活をクリスチャンが信じていることは、一般に知られていた事実でした。それだけ、クリスチャンたちが大胆に、命がけでイエスの復活について証ししていたのです。

復活は歴史的事実

イエスの復活は本当にあったのか。この問いを検討するため、私たちはイエス自身が生前語った預言、イエスの死因、墓が空だったことから考えられるいくつかの仮説を検討してきました。

そして復活のイエスと出会った弟子たちの人生が180度変えられ、復活を大胆に証しした事実を見てきました。その結果、ローマ社会全体に、イエスが死から復活したことが知られていました。事実、信仰に批判的だった歴史家たちも、イエスの復活について著書に記しています。

これらの事実を検証していくと、イエスは死から復活したことは、歴史的事実であったということができるのではないでしょうか。

あなたは復活を信じますか?

イエスの死からの復活は、イエスが「三位一体の神」であることを表しています。パウロは聖書の核心的なメッセージ「福音」について、こう説明しています。

「この福音は、神がご自分の預言者たちを通して、聖書にあらかじめ約束されたもので、御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活により、力ある神の子として公に示された方、私たちの主イエス・キリストです。」※18

福音とは、イエス・キリストそのものです。神であるイエスが人となって、この地上に来ました。しかし人々は、イエスが語る聖書の教えを受け入れませんでした。むしろイエスを十字架につけて殺しました。

イエスは私たちの罪の身代わりとなり、十字架で死にました。イエスの十字架の信じるとき、私たちの罪はゆるされます。

イエスは十字架から3日後、自分で預言した通り、死から復活しました。死んだ人がよみがえることは、あり得ません。まさに父なる神が、イエスを死からよみがえらせたのです。

復活は、イエスが「三位一体の神」であることを明言しています。またイエスの十字架であなたの罪がゆるされていることの証明でもあります。

あなたはイエスの復活を信じますか。イエスの復活を信じるとき、聖書全体を信じることができます。神との新しい関係が始まります。

もしあなたがイエスの復活を信じたいと願うならば、以下のように祈ってください。

「神さま、私はあなたに造られ、愛されている存在です。私の罪をゆるすため、罪のないイエスさまが身代わりに死に、三日後に死から復活したことを信じます。今、あなたと聖書のことばに信頼します。どうぞ、あなたとの新しい関係の中で、私の人生をともに歩んでください。アーメン。」

こちらの記事もぜひご覧ください
『イースター信仰とは何か?』
『10分でわかる聖書 アニメ版イエスの生涯』
『イエスは神か 偽善者か?』

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脚注:(1) 1コリント15:3-5,8 (2) 1コリント15:17 (3) ジェームス・ワーナー・ウォーレンス(J. Warner Wallence)は元刑事で現在はキリスト教伝道者として活躍。著書は. Warner Wallence “Cold-Case Christianity” DAVID C COOK 2013年など多数。彼の公式サイトはこちら。(4) マルコ8:31 (5) マタイ12:39,40 (6) ヨハネ2:19 (7) 参考:リー・ストロベル著, 峯岸麻子訳『ナザレのイエスは神の子か』いのちのことば社 2004年, pp.318-321. (8) ルカ23:46 (9) ヨハネ19:34 (10) 同掲書 pp.322-335. (11) 参照:ポール・E・リトル著, 松代幸太郎訳『新・あなたは何を根拠に信じるのか』いのちのことば社 1988年 「イエスは神か 偽善者か?」 (12) 1コリント15:3-5 (13) 使徒2:32 (14) 使徒10:41 (15) 使徒13:31 (16) 1コリント15:6 (17) Wilkins, Michael J. & Moreland, J.P. Jesus Under Fire (Zondervan Publishing House, 1995), p. 40. 『ユダヤ古代誌』第XVII巻3章3節(通算第63-64節)(18) ローマ1:2-4


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