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イースター 信仰とは何か?

最近、日本でもイースターが知られるようになってきました。ディズニーランドでは毎年、イースター・エッグ・ハントが行われます。イースターとは、イエス・キリストの死からの復活を祝う記念の日です。聖書からイースターの出来事を見てみましょう。

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イースターとは「復活節」とも呼ばれます。イエスは十字架で死に、3日目の死からよみがえります。このイエスの復活を記念するのが、イースターです。欧米では、卵の殻に色を塗り装飾したイースター・エッグを飾ります。庭に卵を隠して、子どもたちが宝探しのように探す、イースター・エッグ・ハントが行われます。

なぜ、イースターの象徴が卵なのでしょう。卵を親鶏が産んで、温めます。鶏の雛は羽化するとき、堅い殻を割って、外へ出てきます。ヒヨコが殻を割って外に出て来る姿を、イエスが復活して墓から外へ出てきた姿になぞったようです。

あなたは、イエスの復活を信じることができますか。イエスの復活を信じることができるならば、イエスの奇跡のすべて、聖書が描く超自然な出来事も信じることができます。イエスの復活を信じることは、イエスが神だと信じることです。復活を信じることが、信仰生活の鍵です。しかし実際には、イエスと3年半ともに過ごした弟子たちも、復活を信じることは難しかったようです。

信仰には対象がある

日本では「イワシの頭も信心から」と言われます。信仰が深ければ、イワシの頭も尊く見えると言われます。しかし聖書が言う信仰とは、ぼんやりしたものをやみ雲に信じる、というものではありません。信仰には、信じる対象があります。私たちの信じる対象とは、神と神のことばです。

-イエスが復活した日の夕方、弟子たちは一つの場所に集まっていました。彼らは、イエスの復活の知らせを聞いても、まだ信じることができませんでした。

「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちがいたところでは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていた。すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、こう言われた。『平安があなたがたにあるように。』」※1

イエスが十字架につけられ3日後、弟子たちは恐怖に包まれていました。そこに復活したイエスが来たのです。イエスは、弟子たちが信じることができるように、釘の跡を見せます。「こう言って、イエスは手と脇腹を彼らに示された。弟子たちは主を見て喜んだ。」※2

信仰は、漠然としたものを信じることではありません。また根拠もなく、ただ信じる盲信でもありません。信じる対象、イエスがはっきりいます。復活を目撃した弟子たちの証言、聖書のことばを信じるのです。

しかし残念ながら、その夜、弟子のトマスはそこにはいませんでした。「そこで、ほかの弟子たちは彼に『私たちは主を見た』と言った。しかし、トマスは彼らに『私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れなければ、決して信じません』と言った。」※3

信仰とは意志による決断

信仰とは「信じられる」という感覚ではありません。信仰とは、感覚としては信じられなくても、それでも「信じよう」とする意志です。

トマスは他の弟子たちの証言を聞いても、信じようとはしませんでした。「そんなバカな。復活なんてあるはずない。自分で確かめなくては、信じられない」と思ったのです。そんなトマスに1週間後の日曜日、復活のイエスが再び現れるのです。

「八日後、弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸には鍵がかけられていたが、イエスはやって来て、彼らの真ん中に立ち、『平安があなたがたにあるように』と言われた。それから、トマスに言われた。『あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」※4

イエスは、トマスの必要をよくわかっていました。トマスに、イエスの方から復活を確かめるように促します。

私たちにも、イエスの復活を「信じられない」と疑いたくなるときもあります。100%確信できないときもあります。たとえ99%「信じられない」と思えても、1%「信じる」方に賭けることも信仰です。疑いの渦の中で「それでも信じよう」と決心することを、神は喜ばれます。「からし種」のような小さな信仰でも、信仰は信仰です。

「トマスはイエスに答えた。『私の主、私の神よ。』」※5 トマスは信仰を告白したのです。

信仰とは見ずに信じること

トマスに対して、イエスは信仰について教えます。「イエスは彼に言われた。『あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。』」※6

-まだ実現を見ていなくても、神はそれを実行すると信じることが、信仰です。ヘブル11:1には、信仰の定義のような約束が書かれています。「さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確証させるものです。」※7

神は、私たちにも聖書を通して、多くの約束を与えています。まだそれが起こっていないことでも、神は必ず約束を守る真実な方だから信じよう…。これが信仰です。

イエスは、私たちの罪の身代わりに十字架で死にました。イエスの十字架を信じる人は、罪の刑罰から救われます。すでにイエスが身代わりに裁きを受けたので、もはや信じる私たちは、裁きを受ける必要はありません。

そしてイエスが再び天からこの地上に来られるとき、イエスを信じる私たちも死から復活します。再臨のときにまだ生きていれば、一瞬に身体は、イエスが復活したときに持っていた「栄光のからだ」に変えられます。そして、永遠にイエスとともに住むのです。

イエスの再臨、救いの完成は、まだ実現していません。しかし、神は必ず約束を守られる方です。神のこの真実な性質に信頼するのです。神の約束は必ず実現すると信じるのです。これが信仰です。

「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。」※8

聖書が書かれた目的は、私たちがイエスを神の子キリストだと信じるためです。信じて、永遠のいのちを得るためです。信仰の鍵は、イエスの復活を信じるかです。ぜひ、イエスの復活を信じてください。信じるとき、必ずあなたに新しい世界が開かれます。

イエスの復活に関しては「見えない信仰の向こうに」の記事もお読みください。
https://www.studentinjapan.com/a/jes7.html

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脚注:(1) ヨハネ20:19 (2) ヨハネ20:20 (3) ヨハネ20:25 (4) ヨハネ20:26,27 (5) ヨハネ20:28 (6) ヨハネ20:29 (7) ヘブル11:1 (8) ヨハネ20:31


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